キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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あぁ・・・むなしい
あぁ・・・むなしい・・・

イスラエルの王様であったソロモンは、人生のあらゆる快楽を追及しました。快楽といっても、いわゆる「レジャー」的なものだけではありません。彼はまず、学問を修め、哲学を学び、ついに当時の誰よりも多くの知恵と知識を得るまでに至りました。

しかしそこに待っていたのは「満足」ではなく、「悩みと悲しみ」だったのです。学べば学ぶほど、知識を身につければつけるほど、彼が手にしたものは、人間の実態とこの世の虚しさであったのです。

そこでそのような苦悩から逃れるために、今度は酒を求めて生きました。アルコールが肉体を元気づけ、笑いが出てきました。が、やがて酔いがさめたとき、事態が少しも変わっていないことに気づきました。心の痛みはますますつのるばかり。再び酒で元気づけるそのような繰り返しの中で手にした結論は、「ああ、なんとむなしいことか」でした。さらに今度は、仕事に向かって生きました。猛烈に働き、事業を拡大していったのです。大邸宅を建て、庭や園を造り、盆栽を手がけ、あらゆる種類の果樹を植え、池を造りました。

彼はやがて、莫大な資産を築き、諸国の宝、金銀を積み蓄え、召使いやそばめを多くかかえるようになりました。欲するものはなんでも求め、心のおもむくままに、あらゆる楽しみを経験しました。そして、彼はその経験の果てに次のように叫んだのです。

「私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、何と、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。」(伝道者の書 2章11節)

彼は名声と強大な権力と豊かな知恵と富を得ました。そして、歴史にも名を残す偉大な王様となったのです。その彼がありとあらゆる経験の中から学び取った結論は、「満足がない、かえってむなしい」でした。ソロモンの求めてきたものは、人間の生きる目標ではなかったのです。

私たちもソロモン王のように大なり小なりの経験をして「むなしさ」を持っているのではないでしょうか。旅行、スポーツ、学問、仕事、家庭と満ち足りた人生を送るために、必死なのではないでしょうか。にもかかわらず、それらの楽しみは長続きしないし、汗水流して働いても、学んでも、真実に心に満足を持てないのです。鎮痛剤のように、ほんのつかの間だけ、一生懸命は人生の悩みや孤独を一時的に忘れさせてくれるかもしれません。

が、本当の満足と生きがいは、そこにはないのです。私たちは、自分自身と周りに偽って充実しているかのように繕っているだけなのです。
 ああ!なんと悲しいことでしょう。なぜ?・・・・・・なぜ「むなしい」のでしょうか?

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