キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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幸せですか?
ナイチンゲールの悩み
ナイチンゲールの悩み

イギリスの看護婦でナイチンゲールと言う人がおります。彼女はクリミア戦争の惨状に心を痛め、みずから看護婦38名を従えて死を恐れることなく戦場に赴き、傷ついた病兵の救護に献身的にあたりました。また患者の側にたった野戦病院の改革を行ない、わずか数ヶ月で死亡率を半減させ、クリミアの天使と賞賛されました。

のちに看護婦養成所をつくり、それが現代の看護教育の基礎となり、これらの活動が赤十字運動の誕生に大きな影響を与えたのです。現在では看護婦の母とか健康をまもる母と賞賛され、人々の目には立派な聖人として映っています。しかし当の本人は自分自身をどう見ていたのでしょうか。

彼女の日記には次のように書いてありました。
 「私にとって最大の問題は、自分の心の中に罪があるという事実です。誰がこの罪から救ってくれるのでしょうか。」

ある人々は自分の良心に言い聞かせて「誰でもやっている。しかたがない。もっと合理的に考えろ。」などと言い、偽りの安心を持つことに努めています。また、ある人はこの良心の責めから逃れるために、何かに没頭したり、罪を償うことに努力します。

しかしどんな修行も罪をぬぐい去ることはできず、どこへ行っても罪は追ってくるのです。そして良心の責めから何をしても逃れることができないのです。このように罪の問題こそ、私たちを不幸にしていることが明らかです。それだけではなく、私たちは人生の最期に、聖書が述べている通りに、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることを直感的に知っています。

罪人は死んだ後、神様の前に立ち、生まれてから死ぬまでに犯したすべての罪を明らかにされます。そして地獄で自分の刑罰を受け続けるのです。そこは激しい苦しみと悲しみ、叫びと絶望、暗闇と恐怖しかないのです。それで私たちは死を恐れるのです。

若者や体に自信がある人は、死後の話を聞くと笑いますが、それはその人がまだ自分の死に直面していないからです。人間とは勝手な者で、死は他人には当たり前であっても、自分にはいつまでも例外でありたいと思うのです。

しかし人間は死と裁きの事実から逃れることはできません。またどんなにこの世で物的に満たされても、社会的に自慢できる地位を得ても、この罪と死後の問題が解決されない限り本物の幸せは訪れません。罪が赦されるしか解決の方法がないのです。では何をすれば罪は赦されるのでしょうか?

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