何かが欠けている
死後の備えを抜きにした人生
死後の備えを抜きにした人生

死後の備えをするとは、自分の葬式代やお墓などを準備することではありません。自分の死後の行き先を備えるという意味です。聖書に「あなたの神に会う備えをせよ。」(聖書 アモス書 4章12節)と、すべての人間に神様が勧めておられます。なぜなら、聖書は次のように警告しているからです。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(聖書 ヘブル人への手紙 9章27節)

その「さばき」とは、私たちの罪に対するもので永遠の刑罰に関するものです。まず、私たちが罪人であることを知らなければなりません。

「すべての人の心をご存じである主」(聖書 使徒の働き 1章24節)をご自分の心に照らして自分自身の生きざまを吟味するなら、「私には罪がない」と、言えないのではないでしょうか。聖書は「すべての人は罪を犯し」「義人はいない。一人もいない。」(聖書 ローマ人への手紙 3章23、10節)と人間の現実の姿を明らかにしておられます。

神様を抜きにした私たちの人生には、色々な罪があります。神様を無視した罪ばかりか、神でもない木や石の偶像を拝みました。そして、偽りの言葉や罪な行動、心の中は汚れた思いで満ちています。そんな私たちは神様のお心を数え切れないほど悲しませてきたことでしょう。ですから、私たちは死を恐れる訳があるのです。しかし、どこへ逃げても、必ず私たちは死を迎えます。私も読者の方も、いつかはこの世を去るのです。一体どこへ行くのでしょうか。もし、私たちは罪を赦されずに死を迎えたらなら、聖書が「さばきを受ける」と警告している通りです。なんと恐ろしいことでしょう!

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