キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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旅人の木
旅人の木

南インド洋に浮かぶ島国マダガスカルに 「旅人の木」という大きな木があります。その木はマダガスカル航空の尾翼(びよく)にデザインされ、その国の象徴とされています。日本では観葉植物として馴染みのあるものです。

この「旅人の木」、見た目は、決してきれいな、格好の良い木ではありません。しかし、砂漠地域を旅する人にとっては無くてはならぬものです。なぜなら、熱帯や砂漠地域を旅する人の水が途中で無くなれば、それは死ぬことになります。水がなくなったその時、旅人はまずその木を探します。ようやく見つけたその木の厚い樹皮に、ナイフをグサリと刺します。すると、そこから甘くて美味しい水が、次から次へと溢れ出てくるのです。そして旅人の渇いたのどを潤し、旅人は死の危険から救われるのです。

私たちも、この世という熱帯、砂漠地帯のような過酷な環境の中で、人生を旅しているのではないでしょうか。私たちの心は渇き、生きがいを見いだせずにあえいでいます。そして心の弱さを周りの人に隠して生きています。そんな過酷な環境に悩まされる人生に疲れています。私たちにも、元気と希望を与えてくれる「旅人の木」が必要なのではないでしょうか。


イエス・キリストは言われました。

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書)


人生にはさまざまな重荷があります。 その一つに、「自分は何のために生きているのか」その理由を知らないことではないでしょうか。七十三歳の白髪になった未亡人の実際にあった話を本で読みました。「私は主人に死なれて、広い屋敷に今ひとりぽっちで住んでいます。三人の育て上げた子どもたちからは、『お母さん、家には来ないでくれ』と言われているのです。長男は医学博士で病院長、次男は大学の先生、三男も教師です。でも三人の嫁とも上手くいかず、私は毎日土鍋でお米を炊いて、ひとりで三度に分けて食べているのです。階段を昇ると息切れがして、途中で何回も休みます。私は今まで何のために生き、これからどう生きて行ったらいいのでしょうか・・・」

人生の重荷

こんなに医学も科学も進歩した時代なのに、人間が生きることに、苦しんでいる、あえいでいるという事実を、私たちは否むことができません。神様に造られた人間にとって、本当の意味で神様の懐に帰るまで、生きる喜びと意味は分らないのです。迷子におもちゃや飴玉は解決しません。迷子は、両親の顔を見るまで、泣き続けるでしょう。神様から離れた人間は、神様の温かい愛の胸を見出すまで、泣き続け、生きる苦しみを叫び続けていくのではないでしょうか。そのような私たちに、キリストは「わたしのところに来なさい」と招いてくださるのです。

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