キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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もう一つの終活

“終活”という言葉は、今ではもう聞き慣れた言葉になりました。自分が死んだ時に遺される家族が困らないために、死ぬ前から身辺整理をしたり、延命治療や葬儀、お墓についての自分の希望をまとめたりすることを言います。また、自分の人生を振り返り、死を受け入れようとする心の整理も、終活には含まれているようです。

しかし、聖書は、そのような終活とは別の“もう一つの終活”を勧めていることをご存知でしょうか?しかも、老若男女問わずにです。

終活とは無縁の男

終活とは無縁の男

さて、“もう一つの終活”が何であるかをお伝えする前に、イエス様のたとえ話をお聞きください。

「ある金持ちの畑が豊作であった。そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。『たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』
 しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこの通りです。」 聖書・ルカの福音書12 章16〜21 節

この男は、もともと金持ちであった上に、さらに農業経営で大成功を収めるという、世間で言うところのやり手でした。彼は、“終活とは無縁の男”でした。なぜなら「これから先何年分もいっぱい物がためられた。」と言っているように、この先何年も楽しく生きると思い込んでいたからです。しかも、自分の財産を心から頼みにして暮らしていたようです。ですから、彼にとって、死は遥か遠くにあるもののように感じていました。もし仮に、彼の成功を取材しに来た記者が「もし明日死んだら、財産どうします?」とインタビューしても、彼は他人事のように「あぁ、遺された家族が使ってくれたらそれで良い。しばらくは困らないでしょう。だけど俺の葬式だけは関係者を全員呼んで盛大にやってくれ。」などと答えていたかもしれません。


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