私たちは罪人?
私たちは罪人?

「罪」という言葉は、殺人・強盗・恐喝・詐欺・強姦・放火など警察に捕まるようなことをイメージします。

 しかし、それらだけが罪ではありません。

心の中の罪

聖書には、「『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。」(聖書 マタイの福音書 5章27、28節)と、あるように、心の中の憎しみや情欲なども邪悪な重い罪なのです。

その他の罪も具体的にあげてみましょう。

不道徳なことをする

私たちは神から離れてしまったため、本当の生き方を見失いました。その結果、カネの欲、物欲、名誉欲の為にしか生きられない者へと堕ちてしまったのです。そしてそれらを手に入れるために、人を傷つけることを平気でしている罪人なのです。

神を無視している

私たちは、偶然によって誕生したのではありません。神の御手によって創られたのです。そして、神様が生かしてくださるからこそ、今日が存在するのです。しかし人間は神に背いて生きています。それが大きな罪なのです。

神を賛美しない

ある一人の人物が、すばらしい絵画を見て感動しました。そして絵画を誉めました。その傍らにいた画家はおかしな人と思うでしょう。これこそ『的外れ』です。

神様が花やこの世界のすべてのものを造られました。ところが人間は、花の美しさを褒め称えたり、造られたもの(被造物)に「ありがとう」と言って手を合わせて拝みます(偶像礼拝)。これこそ、神に対して罪を犯しているのです。「罪」という言葉に訳されている新約聖書の原語(ギリシャ語)は、「的外れ」とか「失敗」という意味があります。私たちは「的外れ」の「失敗」した生き方をしているのです。私たちのいのちは、偶然にできたのではありません。また、自分の力で造り出したものでもありません。

神様が私たちを造られたのです。そして、神様が生かしてくださっているからこそ、今日の存在があるのです。その命の根源である神さまを無視して生きることこそ神さまが、一番悲しまれる大きな罪なのです。