神は存在するのか?
神は存在するのか?

神を見た人、見ることのできた人は人類史上、一人もおりません。だからといって神がご存在しないわけではありません。

神はご存在します。では、それをどのようにして信じることができるのでしょうか。

聖書が神のご存在を示している

聖書の最初の御言葉は「 はじめに神が天と地を創造された。」(聖書 創世記 1章1節)と書かれています。そのほかの箇所にも神の存在を当然であるのかのように語っています。それは神が存在しておられるからです。もし、聖書があたかも「神」は存在されているかのように偽りを述べているとしたら、聖書は大ほら吹きの悪書です。

しかし、実際聖書は全世界の多くの人々に親しまれ愛読され、世界のベストセラーとしての地位を保っているのです。しかも、政治、人間愛、芸術などに良い影響を与えています。そのような聖書が偽りを述べるのでしょうか。ですから聖書が語る「神」は事実、ご存在されると信じることができるのです。

謙虚な科学者は神のご存在を信じた

サーナン宇宙飛行士の体験(1989.6.10朝日新聞夕刊コラム掲載)

1966年6月6日(日本時間)2時間5分の宇宙遊泳新記録を作ったサーナン米宇宙飛行士は、「宇宙体験で最も大きかったのは、神の存在を確信したこと」と語る。

「宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさに打たれる。なんらの目的なしに、偶然のみによって、これほど美しいものが形成されるはずがない。」(立花隆:宇宙からの帰還より)

科学者アイザック・ニュートン

彼は、腕利きの機械工に、太陽系の小さな模型を作らせました。それは、クランクをまわすと、惑星を表す、いろいろな球体が歯車とベルトの働きで一緒に動くという仕掛けです。彼はそれを書斎のテーブルのそばに置いていました。

ある日、書斎で読書をしていた時、無神論者である友人の科学者が彼を訪ねてきました。友人はその模型を見て一目でそれを理解したのです。そしてゆっくりとクランクを回しました。数個の天体がそれぞれの軌道をさまざまな速さで回転するのを見た彼は、いかにも驚いた様子で「実に見事だ!誰がこしらえたのかね」と尋ねました。

ニュートンは言いました。「誰でもないさ。」「君は僕の質問がわからなかったらしい。僕は、どこの誰がこしらえたのかと尋ねたんだよ。」ニュートンは読んでいた本から顔を上げて言いました。「誰が作ったものでもない。突然にいろいろなものが集まって、たまたまこんな形になったんだ」

しかし、驚いた友人はやや興奮した口調で言い返しました。「人を馬鹿にしないでくれ。誰かが作ったに決まっているじゃないか。これを作った人は天才だよ。いったいどこの誰だ!」ニュートンは友人の肩に手を置いて言いました。

「この単純なオモチャが設計者も製作者もなく、勝手に出来たと言っても君は信じない。ところが君は、この仕掛けの元になった偉大な宇宙が設計者も、製作者もなく出現したと言う。なぜそんな矛盾した結論になるのか少し説明してくれたまえ。」ニュートンは、そのようにして友人を神様に導いたのです。