キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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救いのあかし
千 高 大 樹(アルバイト)
千高大樹

イエス様を信じる前、私は全ての宗教を信じる人達は、それぞれの天国に行くと思っていました。また、地獄には凶悪な人が行くが、殺人者でも良い人で良い行いをするなら天国に行けるなどと考えていました。それは何の根拠もない想像にすぎませんでした。

そんなある日、姉がクリスチャンになりました。その結婚式はまことの神様に祝福されたものでした。その時初めて聖書のみことばを真剣に聞き、興味を持ちました。教会の方の勧めで、日曜のバイブルアワーに参加しました。

そこでは、私が曖昧に捉えていた「神様」について、驚くほど明確に語られていて、それを素直に信じている人たちがたくさんいました。何千年も前に書かれたという「聖書」には、現代を生きる私たちにとっても核心を突く、古さを感じさせない神のみことばがあふれていました。これらひとつひとつが、時代も職業も立場も違う人々が書いて、まとめられたものと知って驚きました。

私は聖書についてさらに知りたいと思うようになりました。日曜に忙しいアルバイトをしていましたが、シフト調整を申し出ると感謝なことにそれが通り、私はバイブルアワーに出席できるようになりました。

続けて聖書の話を聞くうちに、私は、イエス・キリストの福音が事実かもしれないと認めるようになりました。しかし2つの点が心にひっかかり、信じることができませんでした。

ひとつは、“信者を獲得するためのでっちあげ”といういわゆる宗教への不信感から、イエス様もそれと同じ作り物ではないだろうか?という疑いの気持ちを持っていたことです。これについては、学びの中で1〜2世紀のクリスチャンたちが猛烈な迫害の中でも固く信仰を保ち、死をも恐れなかったという史実を知った時、私の疑いこそ不自然であると気づくことができました。

もうひとつは「信じるだけで救われる」という言葉にためらいを感じたことです。私はその頃には自分の罪を自覚することができましたが、「私のような神に背き続けた男が、そんな簡単なことで赦されていいのか?」という遠慮のような気持ちです。

それを教会の方々に打ち明けると、「それは大樹さんが神様に対して高慢になっているんですよ。」と指摘されました。私は衝撃を受けました。私は遠慮するような気持ちを美徳のように思っていたからです。ですが、そのような気持ちは、神様から差し伸べられた手を払い退けるに等しい行為だと気づきました。私は神様の「恵み」を拒んでいたのです。神様にこの身を委ねることを決意し、信仰を告白するに至りました。

私の人生は失敗続きです。学業では立派な成績を残せず、大学を出ても満足に資格も取れず、就職先では人間関係で失敗し、自暴自棄になり退職しフリーターになり、大学からお付き合いをしていた女性には愛想を尽かされ、親交のある友人もおりません。私は“負け犬”で“落伍者”でした。

ですが、そんな私を主はあわれんでくださり、救いへと導いてくださいました。弱いからこそ、私は神様に頼ることができるのです。負け惜しみでも空元気でもなく、心から喜びがあふれてきます。「現実逃避」や「洗脳」という言葉をあびせられたこともありますが、大丈夫です。イエス様が私を救い、助けてくださるからです。

全知全能であり、なによりも正義である神様が与えてくださった恵みと、みことばを信じる信仰と神の祝福の特権を与えられた私は、世界の誰よりも幸せ者だと自信を持って言えます。

「主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。」旧約聖書・イザヤ書55章7節

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