キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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救いのあかし
加 藤 由 佳 子(献身者)
後藤由佳子

私が福音を福音と意識して初めて聞いたのは、2005年の11月のことです。学生時代、同じ研究室にクリスチャンの友人がいて、北海道大学内で伝道していることを聞いて、行ってみたのが最初です。その時、2人のクリスチャンの方に聖書から福音を聞かせてもらったのですが、あまりの真剣さと、世界観の違いに驚きました。

その後、クリスマスの福音集会に誘われ初めて教会を訪れました。理系の学部を卒業し、進化論になんの疑問も持たずにそれまで生きてきた私にとっては、福音集会で聞いた話はなにかの物語を聞いているかのようで、事実として信じられませんでした。

また、「キリスト教」という宗教だと思っていたのに、「宗教ではなく真理(事実)」と言われても、何が違うのかよくわかりませんでした。「信じられない!」「分からない!」と思いつつも、その後も誘われるままに、青年会に顔を出し、4月からは聖書の学びをマンツーマンで始めました。

聖書をめくりながら、イエス様について学ぶうちに、聖書に書いてあることや学びで言われることは、分からないところも多いけれど、何一つ否定できず、イエス様のことを信じ始めている自分がいることに気づきました。なぜ宗教ではなく真理なのかも少しずつ分かってきました。それでも、「イエス様を信じますか」と言われるとなかなか「はい」とは答えられませんでした。イエス様を信じることで何かを失ってしまうような、そして自分が大きく変わってしまうような漠然とした不安を持っていました。また、クリスマスに福音集会に行ったことを告げたときの両親の反応から、家族とごたごたは起こしたくないな、という気持ちもありました。

心の中では信じているはずなのに、余計なことばかり考えて「信じます」と言えずに過ごしていた頃、私がイエス様を信じているのにそれを認めないことは、本当に大きな罪であると、教会の方から言われました。私がなかなか素直になれないことが悲しい、とも言われました。その頃からじわじわと、「神様への罪」を意識するようになりました。自分がかたくなな態度を取ることで、どれだけ神様を悲しませているのだろう、と思うようになりました。そして、あるとき、礼拝で、「一番大きな罪は正しいと分かっていることを行わないこと」と牧師がおっしゃったときに、「イエス様を信じることが正しいと分かっているのに、行わない一番大きな罪」をこれ以上重ねたくない、それに、イエス様は私の罪のために命まで投げ出して下さったのに、私が気にかけていることはなんて小さいことなのだろう、と思いました。そして、イエス様を信じると告白しました。

私は、「信じます」と信仰告白するまでに、随分と時間がかかってしまいました。でも今は、神の御子であるイエス様が、私の罪の身代わりとなって十字架の上で死んで下さったことを心の底から信じていますし、イエス様を信じることで、罪人である私を死後待ち受けているはずだった、恐ろしい、永遠の地獄から救われたことを本当に感謝しています。そして、イエス様を信じることで失ったものは何もなく、それどころか、神様の大きな愛の中で、喜びを持って生きる日々を得たことに感謝しています。

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