キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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救いのあかし
吉 尾 み ど り(看護師)
大塚みどり

私は看護師をしています。数え切れない数の死に立ち会ってきました。いろいろな患者さんがいましたが、どんな人にも死は襲ってきました。お金持ちも、カッコイイ人も、心優しい人も、若い人も、死というものに例外はありませんでした。人は必ず死ぬということと、この世で得た物は何も持って行くことができないということを目の当たりにして、人は死んだらその存在はなくなって、生きてきた間のことは何も意味がなくなるんだ、と感じました。

「じゃあ私は今、何のために生きているのだろう」「この人生の最後が、私の存在がなくなることなら、別に今すぐ死んでもいいよなあ」と思うようになりました。そして「生きていたら、少なからず辛いことや悲しいことがあるし、死んだ方が楽なんじゃないかな」という疑問が浮かびました。でも、特別に辛いことがあって人生に疲れていたわけでもないし、死にたかったわけでもないし、私が死んだら少しは悲しむ人がいるかもしれないと考え直して、この疑問は心の中にしまっておくことにしました。周りの人のように、そのときそのときの楽しいことを繰り返すことで人生に満足できる、と言い聞かせることはできませんでしたが、特に人生に目的もなく、ただただ日々を過ごしていました。

そんな中、私の両親がイエスさまを信じたと知りました。宗教は、心の弱い人がすがるものなのに、どうして悩みもないような両親が信じたのだろうと不思議に思いました。そして北海道へ帰省したとき、二人に誘われてこの教会に来ました。

教会では牧師が「人間には罪があって、それにより、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている…」と言っていました。でも、初めて聞く話だったので全然信じられませんでしたし、自分には関係がないことだと思っていました。

でも確かに私は、嘘をついたり、心の中で悪いことを考えたり、神様はいないと考えたりしていたのも事実で、そういう私に対して神様は、罪があるから死んで地獄に行くように決めたのだと知りました。しかも、その罪を赦すために身代わりとして、神様のひとり子であるイエス様を十字架につけて、私を地獄から救ってくださったということを知りました。人生の最期=私の存在がなくなる、ではなく、地獄に行くことだったのだと知って、死んでも楽になるわけではないとわかりました。そして、そこから救われるにはイエス様を信じるだけでいいということもわかりました。聖書に書かれたことは外国の宗教ではなく、私自身に関係のある事実だと信じることができました

私は、人生のゴールもわからずやみくもに生きていた人生から解放されて、天国という素晴らしいゴールに向かって生きるという人生を見つけることができました。今は、喜びと平安を与えられる毎日を、神さまに感謝しながら歩んでいます。

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