キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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救いのあかし
柴 垣 明 子(主婦)
柴垣明子

教会に行くようになったきっかけは、幸せになりたいと願い、真理を知りたいという気持ちからでした。

平凡な学生生活の後、社会人となり結婚。30代で2人の子供を産み、家を建て、人並みの幸せな生活を過ごしていました。しかし、近所の主婦同士の付き合いが深くなるにつれ、他の家庭と自分の家庭を比較してしまうようになり、夫への不満や、子育てについて色々な価値観に振りまわされ、悩んでいました。また、富や名誉、実力がないと幸せになれないという考えのセミナーに参加し、共感していました。

そんな時、長男が通う幼稚園で何人かのクリスチャンと出会い、聖書の学びを勧められました。本物・真理を確実に知りたいと強く願うよう気持ちから、聖書の学びを始めました。初めは、聖書はキリスト教のもので、宗教だと考えていました。つまり、自分中心の、自分の願いをかなえてくれるようなもの。また自分の気持ちを癒す自己満足の世界と考えていました。しかし、学んでいくうちに聖書の語っていることは、フィクションではなく事実なのではないかと思い始めたのです。そして、それまで自分が知っている神と呼ばれるものとは違う、天地万物を創られた本物の神様がおられることが分かりました。そしてセミナーへは行かなくなり、2人の子供と供に教会の礼拝に出席するようにもなりました。

そんなある日、礼拝メッセージの中で、イエス様を自分の救い主として信じ、受け入れることができました。イエス様を知る以前に、自分が思い描いていた幸せや目的が、まったくの的外れであったことに気付かされました。

その後、教会では、クリスチャンには信仰の戦いがあることを学びました。それまで私は、未信者の夫や子供たちとの生活の中で、波風を立てないで平穏に暮らしたいと思っていました。夫や子供たちの行事を優先して生活していたので、礼拝を欠席することも度々。未信者なのでしょうがないと思っていましたが、御心ではないと気付かされました。さらに御心に従いたいという気持ちが強くなりました。そして信仰の戦いの中で、御言葉がとても大切なことを改めて知り、またどんな時にもイエス様を頼って生きていくことができることを知りました。

イエス様を信じる以前の私は、お金があって、おしゃれをして好きなアーティストのコンサートや映画、旅行に行くなど自分を楽しませることばかり考えていました。イエス様を受け入れ、イエス様を知った今は、そのようなこの世の楽しみが無駄に思うようになりました。イエス様のために時間やすべてのものを捧げていきたいと思うようになりました。

家族との衝突や反抗でがっかりしたり悲しく思うことはありますが、全知全能の神様のなさることはすべて最善であると信じることができます。どんなことがあったとしても希望があり喜びがあることに感謝しています。そして、主のご計画の中で誰かの救いのために用いられることを願っています。

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