キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
Home
English

救いのあかし
鷲 見 ル ツ(献身者)
鷲見ルツ

私はクリスチャンホームに生まれ、小さい頃から聖書のみことばにいつもふれていました。

その私がなぜイエス・キリストを信じているかというと、聖書にこう書かれているからです。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。」   (へブル人への手紙9章27節)

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」   (ヨハネの福音書3章16節)

確かに、人間は絶対に死にます。そればかりか、死後にさばきがあると聖書では言っています。私は地獄へは行きたくない!という思いからイエス様を信じました。

しかし、信じて礼拝をしているからといって、罪を犯さなくなるわけではありません。私は嘘もつくし、人を妬んだり、悪口を言ったりもします。私の間違っていたところは『それらは誰でも持っている罪で、もっと悪い人に比べたら私の罪なんて小さいものだ。』という考えでした。聖書にはこう書いてあります。

「人はうわべを見るが、主は心を見る。」   (サムエル記第一16章7節)

実際に行動には出ていなくても、心でそれを思うなら、神様から見た時に大きいも小さいもなく同じ罪なのです。

「義人はいない。ひとりもいない。」   (ローマ人への手紙3章10節)

私は気づきました。神様から見た私の心は何て汚いのだろう、と。そんな私の罪のためにイエス様は十字架にかかってくださったのだ、と。私は自分が傲慢(ごうまん)であったことにも気づかされ、悔い改めました。

イエス様はご自分が神の御子である証拠に、十字架で死なれ、3日後によみがえり、今も生きておられます。このイエス様を信じた私は、生きている意味や死後の行き先をはっきりと知り、日々感謝して喜んで歩んでいます。

「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖(あがな)いのゆえに、価(あたい)なしに義と認められるのです。」   (ローマ人への手紙3章24節)

〒064-0811 札幌市中央区南11条西6丁目2-28
TEL:011-513-5656
お問い合わせ先
Home English