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どうして戦争せんそうがあるの?



どうして戦争せんそうがあるの?
戦争せんそうってしっていますか?

戦争せんそうがおきると、たくさんのひとがしんでしまいます。
戦争せんそうはとってもかなしくて、こわいことですね。
このせかいにどうして戦争せんそうがあるんでしょう?

それは、人間にんげんが「つみ」をもっているからなんです。

「つみ」っていうのは、わるいことをしたり、こころのなかでおもったりすることです。 たとえば、だれかを「きらいだ」っておもったことがありませんか?
そのおもいがだんだんおおきくなると、くにくにが、おたがいにくみあって、戦争せんそうがはじまってしまうのです。

ほかにも、自己中心じこちゅうしんという「つみ」があります。
自己中心じこちゅうしんというのは、自分じぶんさえよければ、ほかのひとはこまってもいいとおもうことです。
だから、ほかのくにのとちをかってに自分じぶんのものにしようとして戦争せんそうをしたり、自分じぶんがたすかるために、ほかのくにをこうげきしたりするのです。

そして、いちばんおおきな「つみ」は、かみさまであるイエスさまををしんじない、ということです。これは、戦争せんそうおおきなげんいんなのです。

たくさんのひとたちは、かみさまをしんじないで、人間にんげんはぐうぜんに進化しんかしたんだとおもっています。ぐうぜんできたとおもっているから、どうしてひとをころすことがわるいことなのか、わからないのです。そして、戦争せんそうのためにひとがしんでしまってもしかたがないとおもってしまうのです。

でも、人間にんげんは、かみさまであるイエスさまがおつくりになりました。
人間にんげんのいのちは、イエスさまがあたえてくださった、たいせつなものなのです。
だから、ひとをころすことは、わるいことなのです。
わたしたち人間にんげんはみんな、このような「つみ」をもっているのです。

「つみ」をもっている人間にんげんは、しんだあと、じごくでばつをうけなくてはいけません。

でも、こんなわたしたちをじごくからすくってくださるために、イエスさまは十字架じゅうじかにかかってくださいました。
わたしたちのつみのばつを、かわりにうけてくださったのです。
そして、三日目みっかめによみがえってくださいました。

イエスさまをしんじるだけで、わたしたちにえいえんのいのちをあたえて、天国てんごくにいれてくださるようにしてくださったのです。


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