紀元30年4月のことでした。その十字架刑は当時最も恐れられていた処刑法でした。太くて長いクギを両手と両足にハンマーで打ち付けられ、体重によって肉体が裂けるのです。そして一滴、また一滴と血をしたたらせながら、何時間も苦しみ悶えた末に、息絶えるという残酷な刑罰なのです。彼は無罪で、処刑される必要のないお方でした。なのに、そんなむごい死を自ら進んで選ばれたのです。なぜでしょうか? 聖書は「正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。」(聖書 ペテロの手紙第一 3章18節)と答えています。
「悪い人々」とは私たちのことです。「私が悪人?」あなたはきっとつぶやくことでしょう。しかし、聖書は「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(聖書 ローマ人への手紙 3章23節)と私たちを断罪しています。天と地を創造された神様を無視して、自分の欲望を神とすることほど大きな罪はありません。悲しいかな、人生の悩みや問題は、この欲望のぶつかり合いが原因なのです。そして、さらに悲しいことに、その罪は神様にさばかれるのです。法律を犯せば法律によってさばかれるように、人間の罪は創造者によってさばかれるのです。聖書に「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」とあります。ですから、私たちは罪に対する恐ろしい刑罰を死後、地獄で受けなければなりません。
ところが、イエス・キリストは、私たちをその地獄から救うために、私たちの罪の刑罰の身代わりとなって、十字架で死なれたのです。そして、私たちの罪を清算なさったのです。彼は「友のためにいのちを捨てる」とおっしゃいましたが、実はその「友」とは、私たちのことであったのです。なんと驚くべき愛でしょう! さらに驚くべきことに、彼は、死後三日目に復活されて、今も生きておられるのです。
実に、イエス様は天国への切符を私たちに与えるために、ご自身のいのちを十字架で犠牲にしてくださったのです。ここに神様の真実な愛があるのです。
もしあなたが、イエス・キリストを心から信じるならば、あなたの罪は赦され、永遠の滅びから救われます。そして、彼によって確実に天国へ行く者とされるのです。もし、私たちが、裏切られることのない神の愛を受け入れるならば、日々、力強く、希望を持って、生き生きとした人生を歩むことができるのです。これこそ、あなたや私のために神様がご用意くださった福音です。
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」-イエス・キリスト- (聖書 マタイの福音書 11章28節)