あなたは愛されています

人間の愛

花嫁と花婿

映画やテレビドラマを見ても、またいろいろな歌を聴いても男女間の恋愛をテーマにしたものがほとんどです。私たちはそれらを見たり聞いたりして自分もそのように人を愛し、愛されたいという願望を持ちます。しかし、なかなか実際はそんなドラマチックで純粋なラブストーリーに出会うことはありません。なぜなら、それらは架空の愛、または美化された愛だからです。

私たちのまわりには愛のまねごとが氾濫し、たやすく「愛」という言葉を口にし、愛する人のためには、どんな犠牲も惜しまないと言います。しかし、最近の離婚や不倫の急増を見てもわかるとおり、人々の間でかわされる愛の約束は、なんともろいものでしょうか。自分を犠牲にしてでも、ひとりの人を愛し続けることは私たち人間にはむずかしいのです。たとえ、自分は愛を全うし続けても相手が冷たくなれば、その愛が憎しみに変わることはよくある話です。

ときには、他人のために自分を犠牲にするような愛もあるでしょう。例えば臓器の提供やボランティア活動などは尊い愛の現れだと言えます。しかしそれらも自分の肉親であるとか、社会の一員である実感がほしいから…など理由(条件)付きの愛であることが多いのです。突き詰めれば、自分自身の満足を得るためであることが多いということです。それほど私たち人間の愛は小さく、また自分を第一にする愛しか持っていません。

神様の愛

しかし「愛」には、見返りを期待しない、どんな犠牲も惜しまない真実な愛があります。それはイエス・キリストにおいて現された神の愛です。キリストは今から約二千年前、この地上に実際に来てくださり、私たちの罪のために十字架の上でご自分の命を捨ててくださいました。このキリストの十字架こそ私たちに対する神様の完全な愛の現れであり、ここにこそ、私たち全てのものが必要としている本当の愛があるのです。

では、キリストの十字架上の死は、私たちと、どのような関係があるのでしょうか。そのことを考えるために聖書を見てみましょう。

聖書には、この宇宙を創造し、いのちあるものすべてを生かし保っておられる真の神様が御存在されること、また人間はその神様を無視し、自分勝手に生きていることが書かれています。

この神様を無視し自分勝手に生きる生き方が「罪」なのです。

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