一寸先は光

私たちを死後の滅びから救うお方

私たち自身は救いを必要としている罪人であり、死後、滅びの道を歩んでいるということは事実なのです。聖書は「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず...」(聖書 ローマ人への手紙 3章23節)また、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(聖書 ヘブル人への手紙 9章27節)と教えています。

私たちの両親は、かつて一度も嘘のつき方や人を傷つける方法などを教えたことはありません。しかし、私たちはみな、嘘をつき、人を憎み、人を簡単に傷つけてしまいます。これは、わたしたちが生まれながら罪を犯す性質を持っているからです。なかでも、私たち人間が犯してきた罪の中で一番大きなものは、天地万物の創造者、神様をおそれ敬うこともせず、神様に背いて生きていることです。私たちが生まれてから死ぬまで犯し続けてきた罪は、一つ残らずすべて神様に覚えられています。そして、死後に地獄で永遠に罪の清算をしなければなりません。

イエス・キリストは、その恐るべき場所に向っている私たちを救うために、この世に来られ、私たちに代わってその罪を十字架という方法で清算してくださったのです。聖書には「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」(聖書 テモテへの手紙第一 1章15節)とあります。また、別の箇所では「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書 ヨハネの福音書 3章16節)と。

一寸先は光

今から二千年前、神様はご自分のひとり子をこの世にお遣わしになりました。御子なる神は処女マリヤを通して人間となられました。そのお方がイエス・キリストです。このお方は十字架の上にはりつけにされて死ぬためにこの世に来られたのです。彼は、十字架の上で私たちの犯したすべての罪をご自分の身に負ってくださり、私たちの身代わりとなって罪に対する神の刑罰を受けてくださったのです。罪を犯した者を裁かなければならない神様は、罪を犯した私たちを罰する代わりに、ご自分の愛する御子を十字架の上で罰してくださったのです。

実に、神の御子イエス・キリストが十字架の上で苦しまれたのは、あなたの罪を赦し、あなたを死後の刑罰から救い、希望の人生と天国へ導くためであったのです。そして、これが確かなものであることの証として、死後三日目に墓の中より肉体を持って復活されたのです。このようにして、永遠のいのちと天国の実在を確実に示されたのです。

私たちは何をすべきなのでしょうか

それは、神様を拒むことをやめて、イエス・キリストを心から信じることです。そうすれば、何を信頼し、何に頼ったら良いのか分からないこの時代において、確かなガイドが与えられ、試練や困難を乗り切る力もいただけるのです。さらに、やがて入る天国の素晴らしさを知って、希望に満ちた人生を送ることができるのです。このイエス・キリストこそあなたにとって絶対に必要な救い主ではないでしょうか。

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