目には見えない幸せ
目に見えるものを失う不安

目に見えるものを失う不安...

「私たちは、見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」(聖書 コリント人への手紙第二 4章18節)

私たちは目に見えるものがすべてであると思いがちです。よって、目に見えるものが失われることを恐れます。それはお金、財産、人間関係など、自分が今手にしている物を失うことに対しての恐れだと思います。
しかし、それ以上に私たち人間が一番失ってはいけないものがあります。それは「いのち」です。手元にあるものを何一つ失わなかったとしても、いのちを失ってしまうならば元も子もありません。残念なことに、すべての人間は遅かれ早かれやがて死んでしまうのです。

そして聖書には、私たちが死ぬことと、死後の行き先について次のように記されています。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、」(聖書 ヘブル人への手紙 9章27節)

すべての人間は「罪人」である

聖書には、人はみな必ず死に、罪の罰として死後にさばきを受けなければならないとはっきりと書かれています。また、別の箇所にはこのように記されています。

「義人はいない。一人もいない。」「すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず」(聖書 ローマ人への手紙 3章10,23節)

全く罪のない人間は一人として存在せず、私たちはみな「罪人」なのです。その罪の罰として、罪人である私たちは死後に永遠の地獄でさばかれなければならないのです。
その死後のさばきから救われる方法として、聖書にはこのように記されています。

「神は、実に、そのひとり子(イエス・キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書 ヨハネの福音書 3章16節)

イエス・キリストは、私たち罪人を救うために神が人となってこの地上に来られたお方です。キリストは、私たち罪人を救うため、私たち自身ではどうすることもできない罪をすべて背負い、十字架にかかって私たちが受けるべきであった罪の罰を、身代わりに受けて死んでくださいました。それのみならずキリストは、三日目に墓の中からよみがえり、今も生きておられるのです。
このお方を信じる者の罪はゆるされ、一人として死後の地獄のさばきに向かわせることなく、「永遠のいのち」=天国へ行けると約束してくださったのです。

目には見えない本当の幸せ

イエス・キリストを信じるならば、たとえあなたの身の回りにある物すべてを失ったとしても、不幸になることはありません。それは、天国行きが確定しているという希望に溢れた人生を手にしているからです。これこそが、目には見えない本当の幸せなのです。
ぜひあなたがイエス・キリストを信じて、目に見えるものにではなく、目には見えない天国行き確定の切符を手にすることができますように。