信じるだけ?
信じるだけ?

あなたはこう言われるかも知れません。

「信じるだけで救われると言うのはおかしい。救われるためには行ないが必要だ。良い行ないのない者が信じるだけで恵みで救ってもらえるというのは間違っている。」

いいえ、間違いではないのです。
神が聖書の中でそう約束しておられるのです。どうしてイエス・キリストを信じるだけで救われるのでしょうか。それには理由があります。

まず第一に人を救うことは神の愛から出たことであり、神の御業であるからです。あなたのお子さんが池に落ちたらどうしますか。「○○ちゃん、これからいい子になりますか。もしお母さんの言うことを聞く良い子になるなら助けてあげます。良い子になると約束しなさい。」と言いますか。「いいえ。直ぐ飛び込んで助けます。」と答えるでしょう。人間の親でさえ、無条件で自分の子を助けるならば、どうして神が愛するものを信仰だけで救って下さることがおかしいとお思いになるのですか。

第二に、神の聖さが完全であるために、神は御子の血による代価以外の、どのような代価によっても私たちの罪を赦すことができないのです。私たちがどれほど多くの涙を流して後悔しても、またどれほど真剣に懺悔しても、神様は後悔や懺悔によっては罪をお赦しになることができません。神が真実に有効な罪の代価としてお認めになれるものは、またそれに基づいて神が私たちの罪お赦しになることができる唯一の罪の代価は、主イエスが流された血のみです。

神はただ御子の血によって私たちをお救いになることができ、私たちもただ御子の血によって救いを、神の賜物として、いただくことができるのです。ですから神があなたに求めておられるものは、主イエス・キリストを救い主と信じる信仰だけなのです。

第三に、救われるだけの資格をもっているものは誰もいません。私たちは救われる資格も、神に愛される資格もない罪人です。誰も、どのように努力しても、神の前に全く正しいと言われる人になることはできません。努力によってあなたは救いを神から買うことができません。神も救いを売って下さいません。あなたは永遠のいのちを、神の恵みによるプレゼントとしてのみ、いただくことができるのです。