畠 山 勝 弘(アシスタントパスター)
畠山勝弘

私の家族の中で、先にイエス様を信じ救われたのが妻で、そして4人ものかわいい子供に恵まれ、子供と妻は日曜日ごとに教会に行き、私は日曜日といえば競馬の日でした。

ある時、叔父の死をきっかけに人間は死んだら終わりだろうか、それとも、その先に何があるのだろうと考えるようになりました。また、自分の親は神道で、妻と子供は教会に行っているし、親や妻が死んだら、いや、もし自分が死んだらどうするんだろうと思いました。葬式では坊さんに金を出したら2人3人と人数が増えお経を上げる。繰上げ法要とかいって何回分かを1回で済ましてしまう。こんな宗教は何か違うのではないか。

では、親の神道ではなく妻のイエス様か。実際親は神道といってもそんなに真剣に取り組んでいるわけではない。しかし我が家のトイレには、ゴスペル新聞が腰掛けた目の前に張ってあり、地獄だ、皆、罪人だ、死後には神の裁きがあると書いてある...

妻の言うことをその通りにそのまま信じると言ったら、妻に屈するような気がしてできませんでした。しかし、このままでは、考え方がどんどん離れていって本当に家族がばらばらになってしまうと思い、それなら話だけでも聞いてみようかと思い始めました。そんな時、ある兄弟の誘いもあり、会堂建築の手伝いに壁を壊しに行きました。

そしてそこで福音を聞き、聖書の学びを始める事になりました。何回か学びを受けましたが、どうしてもイエス様の3日目のおよみがえりが、人間的に信じることができませんでした。そのような時、学びの中で、イエス様が死を打ち破り3日目によみがえられたと信じてそれを証言し、権力に屈することなく殉教していった多くのクリスチャンを知りました。彼らはイエス様のおよみがえりから天国の希望を持ちつつ喜んで死んでいったというのです。これは間違いない、間違いであってはならないと思い、2002年5月10日に信じると告白しました。

その時は救われたという確信がなく何にもわからない状態でした。しかし集会でのメッセージを聞き、決心者クラスの学びを受けているうち、イエス様は受肉された神であること、三位一体、進化論の間違い、教会、聖霊の内住、新しく生まれること、終末論など、私が何を受け、どこに向かっていくのか、そのすべてがわかり、確信が与えられました。

また、神舘牧師の『神を第一として歩む』というメッセージを聞いた時、聖書はこう言っているとか、イエス様だったらどうされるだろうと、物事を1つずつ考えながら歩むことを知り、以前とは違い少しずつ新しい生き方を選べるようになりました。毎日飲んでいた酒も、酒に支配されることよりイエス様に支配される事を選び、酒をやめることができました。

酒を断つ以前、次男は私が背広を着ると「パパ、またお酒のみに行くの?」といっていたのですが、今は「教会に行くの?」と言う様になり、自分も変わったんだなと思います。そしてバプテスマを受け、晴れて我が家はクリスチャンホームになることが出来ました。

このようにしてすべてを造られた神様により頼み、罪を背負い罪を許して下さったイエス様にすべてを預け、地獄から救って下さったことに感謝し、天に希望をもって歩む幸いを覚えて感謝いたします。このすばらしい福音を信じられていない方がおられましたら、信じ救われる事をお勧めいたします。アーメン