畠 山 直 子(看護師)
畠山直子

私が初めてイエス様の話を聞いたのは、高校2年生の時でした。その時、副担任だった英語の先生がクリスチャンで、教職についたばかりだったのに、「いつか牧師になりたい。」とたびあるごとに熱心にイエス様の話をしてくれたのです。

私は小学生の頃から人間が造った物を拝むことに疑問を持っており、当時両親の不仲や友人関係で悩んでいたので、天地万物を作られた神様が存在し、人間を愛するが故、御子イエス様が十字架にかかって死んで下さり、三日目によみがえって下さったことを何の疑問を持つことなく受け入れることが出来たのです。

しかし、イエス様を信じますと告白しバプテスマも受けたのですが、聖書を読んでも礼拝メッセージを聞いてもよくわからず、聖書を自分勝手に都合のよいように解釈していました。また、トゲトゲとした家に帰りたくなかったため、イエス様を礼拝するためより、教会の人と話しをしたり、大きな声で賛美することが楽しくて教会に行っていたような気がします。

そして自分はまじめで、人にもよく思われている方だから、イエス様は他のいじわるな人や犯罪を犯す人たちのために死なれたのだと、自分はイエス様に死んでもらうほどの罪人ではないと思っていました。高校卒業後、看護の道に進みましたが、勉強・実習・人間関係で今まで以上に悩むようになり、『今、無理して教会に行かなくても、年をとってから神様のもとに帰ってもきっと許してくださる』と自分の都合のいいように考え、だんだんと教会に行かなくなり、私は自ら神様から離れてしまいました。

その後、イエス様のことを全く知らない今の主人と結婚し、次男の出産を期に仕事を辞めました。この頃からです。給料が半分になったためか、妙にお金に執着するようになり、毎日のように夫だけでなく、公園で会う知人にまでも愚痴をこぼしてしまうようになったのです。

そして、ある日を境にその知人から全く無視されるようになってしまいました。そればかりか黙って愚痴を聞いてくれていた夫の血圧が急に高くなり、元気すぎるほどだった夫が頭痛や吐き気を訴えるようになったのです。『夫が急に死んでしまったらどうしよう。』私は死について考えるようになりました。『夫だけでなく、自ら神様から離れてしまった私は死んだらどこに行くのだろう。今、私は消えてしまいたいほど嫌な人間だからきっと許してもらえない・・・』と。

しかし、ある時、はっと気づいたのです。もしかしてこんな汚れた私のためにイエス様は死んで下さったのではないか!と。イエス様を知ってから10年目にしてやっと自分が罪人の中の罪人だとはっきりわかることが出来たのです。そればかりか、イエス様のもとに帰りたいという思いがつのっていた中、いつも子供を遊ばせていた公園に、イエス様は一人の方を送ってくださったのです。公園に来る予定ではなかったその方をそこに導き、私を教会に誘うように働きかけてくださったのです。彼女は以前働いていた病院の医師でした。

神様は、私の心をすべてご存じで、聖書の学びが一から出来るように聖書にも忠実でイエス様を第一としている教会に導いて下さいました。夫の血圧もその後下がり、今やその夫もイエス様を心から信じることができました。今日も家族でイエス様を愛し、礼拝しているこの恵みに心から感謝し、主をほめたたえています。