平 山 勇 徳(恵みキリスト教会・会社員)
平山勇徳

私は子供の頃から漠然と、この世界に違和感を感じて生きてきました。親も兄弟も何もかもを心の底から信じることができなかったのです。しかしそのような中でも、この社会の一員として成長し、生きている以上なんとかその場所に適応しなければといけないと、自分自身の本当の心にずっと仮面を被せて生きてきました。その仮面は大人になればなるほど厚くなっていったのだと、今は思います。

世間に受け入れられたい欲求からかいつしか私は、お金や権力は絶対に裏切らない、それこそがこの世の真理だ、という考えを自分自身に押し付けていました。そういった日々の窮屈さからか私はいつしか酒に溺れ、ギャンブルに依存し、目の前のお金欲しさに詐欺まがいなことにも手を染めてしまったこともありました。毎日が堕落しきっていた人生をなんとか変えたい、本当の人生の目的を知りたいと願い、日本を出て旅をしたこともありました。ですが、どんなに遠くへ行っても、どんなに素晴らしい景色を見て、どんなに珍しい体験をしても、そこにも答えはなかったのです。

そうやって私は仮面を被った人生を34年間過ごしました。しかし堕落した人生を生きつつも、ある日突然一つの想いが私の中で芽生え始めたのです。それは「神様は実際に存在していて、ずっと私を見守っていてくださっている」というものです。それからは真理そのものである聖書、真の神様であるイエス様に出会うのは決して遅くはありませんでした。それまで教養として聖書を読んだことがありましたが、聖書に対して改めて真剣に向き合って目を通した瞬間に、これこそがずっとこの人生で探し続けてきたものだ!これこそが真理だ!という確信が私の体の底から湧き上がってきたことは今でも鮮明に覚えています。

それから形式だけの礼拝しかしていない見せかけの教会ではなく、真理だけを追究し、心からの賛美を捧げている教会で礼拝したいと願い、恵みキリスト教会函館と出会うことができました。そして初めて教会に行った日に、牧師である神舘先生のメッセージから、人間は生まれながらに罪人であり必ず死後、地獄に行くことが定まっているという事実を知らされました。しかしそれと同時に、イエス・キリストが神でありながら人間としてこの世に生まれ、自ら十字架にかかり死に葬られ、三日後に文字通り肉体を持って甦えられ、私たちに救いの道を用意してくださったということ、そしてそのイエス様の成した業とイエス様を信じる者は滅びの道から救われるということを聞きました。

その時、私の心の中には、私が教会を初めて訪ねた日、やっと真理にたどり着き、神様を愛し礼拝を捧げていけることが嬉しくてウキウキし浮かれていました。そして神様は、私が主を愛するはるか昔から私を私より知り尽くし、愛してくださっていたのが分かりました。そして2000年も前から私が罪人として持っていた罪、滅びの道から救うために御子であるイエス様を十字架に架けられたという事実を知りました。今まで偶然だと思っていたことや私が生まれてから34年間の放蕩生活を経て、全く縁もゆかりもなかった北海道の函館という地に移り住んだことなどは、全て神様のご計画の一部に過ぎなかったということを覚え、ただただ神様にひれ伏し、その場で、私はイエス・キリスト様を心から信じます、と牧師の助けによって神様に信仰の告白をしました。

あの日、私の心の中に神様は実際に存在していて、ずっと私を見守ってくださっている、という想いを植え付けてくださったのは紛れもなくイエス様の恵みによるものであったことを覚えて感謝しました。  最後にわたしの特に好きなみことばを一つ言って終わりたいと思います。

「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りてきなさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。』」 ルカ19章5節

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