イ ク ミ (会社員)
小野育美

私がイエス様を初めて知ったのは2歳です。といっても、それは私を預かってくれる保育園が教会であり、私の家には仏壇も神棚もあるそのような家庭でクリスチャンはいませんでした。保育園を卒園した後も日曜学校に通い、教会で行われている習字教室へも通い、小学4年生までは漠然と「神様はおられるんだ」と信じていたのを覚えています。

小学校4年の途中ごろから、自分はこの世でも家族にも必要とされていない存在だと思うようになり、「自分は何のために生まれてきたのか」「死んでも悲しむ人はない」と、そのような悩みと孤独の中で神様のことを考えることは次第に無くなっていきました。生きる意味、目的について答えを探し求め、自分の可能性を求め色々なことに積極的にチャレンジする人生を送っていました。"愛"を求めて20代で結婚した後は、子供を立派な大人に育て上げることが人生の目的、社会的地位やお金を得ることが人生の喜び、何不自由なく暮らせる人生が幸せなのだと思っていました。

ところが3人目の子供を授かった頃、生まれることを待ち望む気持ちとは裏腹に、子供たちを健やかに育てる環境ではなくなってしまいました。妊娠9ヶ月の私は、まだ小さかった子供たちを連れて新たに生活をすることを決めました。

お金や社会的な地位、力は私を幸せにすることはありませんでした。出産を間近に控え、家財道具も何もないところからのスタート。毎日子供たちととても忙しく過ごしていましたが、埋めることできない心の傷。そして孤独感。どうやって子供を3人育てていったらいいのかという不安と絶望感。私の人生は「負け組」なのだと、惨めで情けなく、生きる気力も日々失われていました。

第3子が生まれて半年経った頃、ふと、保育園で毎日言っていたお祈りを思い出しました。インターネットで覚えている言葉を調べるとそれは"主の祈り"と言われるものでした。その日から私が人として欠けているもの、知りたいこと、求めるもの全ての答えが聖書の中にあるのではないかと思い始めました。

本屋に聖書を探しに行くものの子供の時に持っていた聖書がどれなのかわからず引き返し、また"どこの教会"へ行ったらいいのかもわかりませんでした。そんなある日、"ゴスペル礼拝(現・バイブルアワー)"と書かれた青いチラシが玄関の中にポスティングされました。私の「聖書を読んでみたい!」という気持ちを知っていたのかと思うほど、不思議なタイミングでした。私はチラシを開いて読み、この恵みキリスト教会札幌へ行ってみよう!と決めたのです。

そして教会に何度か足を運び集会に参加し、クリスチャンの方と個人的に聖書を学びました。その学びの中でイエス様が神様であること、自分の罪について、そして死後の裁き、なぜイエス様が十字架にかかられたのか、学ぶことができました。そして聖書を読むほどイエス様の素晴らしさに感動し、知りたかった答えが少しずつ与えられた私は、「イエス様を信じる」と言えたらどんなにいいかと思いました。私は、欲深く生きてきて正しい人間ではない、聖書でいう罪だらけの人間なのだから「信じる」と言う価値もないと思っていました。

しかし教会のクリスマスの集会の時、

「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。」(聖書 ヨハネの福音書 10章9節)

というみことばが私の心に浸透しました。神ご自身がわたしのために来られたということ、イエス様は手を差し伸べわたしを待っておられること、イエス様という門を、わたしはただ素直に疑わず通って入るだけなのだというのです。こんな失敗だらけで価値のない私を十字架にかかるほどまでに愛し、全てを受け入れてくれるのはイエス様だけなのかもしれない。「イエス様を信じます」と私は手を挙げ告白したのです。

私はイエス様の変わらない愛に触れ、イエス様を信じることにより全てを委ねることができ、生きる意味も、人生の目的も、心穏やかに過ごせる平安も与えられました。私の人生はどんな時も主イエス・キリストと共にあり、私の全てとなりました。私の人生を証として用いてくださる神様に感謝します。