今 待 和 憲(会社員)
今待和憲

イエス様のことを知る前、私は「出世して偉くなりたい」「自分の判断で色々好きなようにやりたい」「お金を稼ぎたい」と仕事中心で自分の欲望丸出しの自我の塊、仕事で成功することが自分のやりがいと思って日々を過ごしてきました。

自分が目標としていた役職に就くことができたものの、自分の心が満たされることはなく、朝起きて仕事行って夜遅くに帰ってきて疲れて寝てまた朝起きて、の繰り返しで、何のために仕事してるのか、何のために生きてるのかと、そのように感じることも多くありました。

そんな私がイエス様を信じるきっかけとなったのは、職場の同僚だった方が病気になったことです。その方がクリスチャンであることは知っていましたが、彼女から病気のことを打ち明けられた時、彼女は自分は長く生きられないかもしれないからと、私に必死でイエス様のことを教えてくれました。

イエス様を信じることで天国に行けること、私たちは罪人であること、イエス様は私たちを愛してくださっており、自分の罪の身代わりとなって十字架に架かってくれたこと、3日後に甦って下さり、今も生きておられることを私に伝えてくれ、私にイエス様の存在を教えてくれました。その福音を聞くうちにもっと知りたいといく気持ちになり、私も天国に行けるようにイエス様を信じて救われてほしいと言われ、2018年の8月に一緒に教会にいきました。

教会に行くのは初めてだったので、緊張していたのですが、皆さんが温かく迎えてくださり、初めて聖書のメッセージを聞きました。イエス様は神の御子であること、誰もが罪人であること、イエス様が自分の罪の身代わりとなって十字架に架かり死んでくださったこと、イエス様を信じる信仰だけで天国に行けることを、その時のメッセージを聞き、心が揺さぶられたことを今でも覚えています。そのメッセージを聞いたとき、私も誰かを妬んだり恨んだりと罪人であることを認め、地獄に行きたくないという思いから、この時、私は悔い改め、救い主イエス様を信じました。

仕事をしていると、失敗したくない、ミスをしたくない、負けたくない、認められたいといった気持ちが出てきてしまっていましたが、聖書の学びから、クリスチャンとして生きるという事は、自分が弱いものであるとまず認め、神様と親友のような関係を築き、導いていただく事、何よりも神様がおられるから、自分は脆く、弱い立場であって良いのだという事を知りました。

日々の生活の中でも、生きている中で色々な困難や八方塞がりに感じられる時でも、一人じゃなく、神様が傍にいてくださいます。神様はどんな時でも愛してくださり、私に道を示してくださいます。

これからの人生も、日々イエス様に祈り感謝し、仕事中心ではなく、イエス様を中心にし、共に生きていきたいと思っています。