中 川 の ぞ み(主婦)
新飯田のぞみ

私は小さい頃から人に嫌われることや怒られることを何よりも怖がる臆病者で、いつも人の顔色を伺って生きてきました。しかし周りの人たちに合わせて生きることにも納得できず、孤独を感じていました。

日本には周りに合わせて生きていかなければならないというしがらみがあるから、私にとって息苦しいのだと思い、海外に住みたいと思うようになりました。でもいざ海外で暮らしてみると、文化や景色が違うという新鮮さはあっても、日本にいる時と心の状態は変わりませんでした。仕事でも毎日毎日こわくてつらかったです。

自分が弱い人間だとようやく気付いて、自分の心を見つめるため、心について勉強したいと思って日本に帰国しました。心理学、哲学に興味をもって勉強してみたり、神社に行ってみたり占いをやったり、スピリチュアルセミナーに参加してみたりして自分のことを知ろうとしました。

でも何を学んでもどんな知識を得ても、しっくりこずに継続することができず、そうした色々なものにすがってみた結果、自分の弱い心はますます悪化し、生きる意味すら失っていきました。ついにはもう早く死んでしまいたいとまで思うようになってしまいました。

その頃友達に、教会で聖書の学びをしてみないかと誘われ、興味はあったので学びを始めました。そしてその学びの中で、聖書から初めに知らされたことは、「あなたは罪人です」でした。罪人とよばれびっくりしていやな気持ちになりました。付け加えて、罪人である私は死んだ後に、地獄でさばきを受けなければならないということも伝えられました。

キリスト教もただの宗教の一つだと思っていたので、何かルールを守れば幸せになるとか、こうしたら平安がもたらされるとか、そういう話が聞けると思っていました。だから自分が罪人だとか、ただイエス様を信じるだけでさばかれずに天国へ行けるということが全く理解できず、そんなわけないと思いました。

でも聖書を学ぶ中で、聖書の示すとおり、私には確かに罪があり、その結果、死後にとんでもないところに向かっているということを認めました。それまでの人生をふりかえり、神様でないものを拝んだりすがったりしてボロボロになりながら生きていた時、ずっと「そっちじゃないよ」と私の本当の救い主であるイエス様は声をかけ続けてくださったんだと気付きました。

本当は私が苦しむべきだったのに、イエス様は私が地獄に行くことを悲しんで、代わりに十字架で苦しみを背負って命を捨ててくださいました。それほどまでにイエス様は私を愛してくださっていたんだと知って涙があふれ、私はイエス様を私の救い主であると心から信じました。

イエス様は三日目によみがえってくださって、今もなお生きている真の神様であり私の本当の救い主であることを心から信じています。私は罪がゆるされ永遠の天国に行ける平安と喜びを手にしています。

信じる以前、ずっと生きづらさを感じていたのは、本来の居場所でないところ、拠り所でないものにたよって生きていたからでした。今は神様に愛されているという平安と、イエス様と共に生きる人生が与えられている喜びに満たされています。