大 塚 加 代 (看護師)
大塚加代

私は、神様については、目には見えないけれど居られると思っていました。仕事上の人間関係で悩んだり、苦しい時、きっとこの後にうれしい事を用意していてくれているような神様と思い、がんばっていました。そのストレスを紛らわすため、旅行やショッピングをしたり、お酒を飲んだりしていましたが、心が満たされることはありませんでした。 また、夫婦で今後の人生のことを話し合うとき、「頼れるものはお金だ」との結論に達していました。

死については、看護師として患者さんの臨終に多く関わり、「これで楽になり天国に行けてよかったですね」と患者さんを見送っていましたが、天国に行ける人とはどのような人なのかは、分かっていませんでした。

死後の裁きについて初めて知ったのは、義理の兄である東猛寿さんの召天式(葬儀)に参列し、牧師から語られた力強い福音のメッセージを聞いたときです。
「天地創造の真の神を信じなさい。死んで地獄に行ってもいいんですか。」
牧師の声が私に向かって迫ってくるようで、目が離せませんでした。

義兄は、いつも静かに私達を見守ってくれていました。召天式をとおして私達が救われる道を用意してくれたのだと思います。

その後、クリスチャンである義理の姉や姪、教会の兄弟姉妹の温かい励ましと、神の導きにより、教会に毎週通うようになり、2007年5月20日に「イエス・キリスト様を信じます」と告白しました。そして、マンツーマンで「決心者の学び」を受けました。

しかし、イエス様が私の罪を償うために死んで、3日目によみがえり今も生きておられ、私のそばにいつもいらっしゃるということが、頭ではわかっても、「神様はすばらしい、賛美しましょう、楽しい、うれしい」という心からの喜びが、内なる魂から呼び覚まされることはありませんでした。

そのような時、2007年10月28日のバブテスマ式で、教会の兄弟姉妹も私と同じように、仕事の悩みや試練の時を神の御言葉に励まされていることを知りました。その帰り、イエス様にゆだねるという事を考えました。今までの仕事上の出来事は、私の信仰を深くするためにイエス様が用意した事で、これからの事も、私ができることを用意してくださっているはずだ。今は、この仕事をイエス様のために一生懸命しよう、乗り越えられない試練を与える事はないのだ。そのように思うと、涙が出て止まりませんでした。初めてイエス様の深い愛を知り、心から感謝し喜びを得ました。

この確信を得た翌週、11月4日、主人と教会からの帰りに神様について話していた時、主人は信仰に対して理解を示しているようでいて、実は神様を信じる事に臆病で、あれこれ理屈を言って、逃げていることがわかりました。私は、自分がいかにイエス様をたよりにして仕事や日々の生活をしているか、心の内を初めて語りました。これまでは、私も確信をもっていないため、主人のことは他人に任せておこう、待っていればそのうちに信じるだろうという気持ちでした。しかし、私自身が平安な日々を送るには、主人の信仰が不可欠であり、主人が救われる助けをしなければならないのは自分だったのだと気付きました。

その翌日、仕事から帰ると、主人が牧師先生に2時間かけてイエス様を信じます、という手紙を書いていたというのです。驚きました。神様は、頑な主人を動かすように、私をまず信仰に導いてくださったのだと思いました。

「主を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(聖書 詩篇 37篇4、5節)

ますますイエス様に頼って、イエス様のために主人と信仰を深めていきたいと思います。イエス・キリスト様を信じる信仰で、罪人である私を死後、恐ろしい永遠の地獄から救い、天の御国へ導いて下さったことを、心から感謝する日々です。