私の実家の宗教は浄土宗でしたが、神様については考えたこともありませんでした。元旦に、近くの神社へ初詣に行き、賽銭を入れ、その一年間の健康をお願いする程度でした。 イエス・キリスト様との出会いは、2007年3月、義理の兄が天に召され、召天式に参列するため恵みキリスト教会に来たのが始まりです。
以前から聖書やキリストについて、姉と会う度に激論していましたが、とりあえず日曜礼拝に参加することにしました。 しかし、神の存在については興味がなかったので、日曜礼拝で牧師の福音を聞いても、頭の中では拒否していました。聖書は私から見たら、人間が書いた、ただの書物にすぎませんでした。
しかし何回か礼拝に参加し、又聖書を読んでいるうちに、聖書に対する考え方が徐々に変わりました。 聖書に書いてあることが理解出来るようになり、あれ程否定していたのに、「これは本物かもしれない」「いや本当のことだ」と思いながら、葛藤する日々が続きました。 そして数ヵ月間、心の中では信じているのに、余計なことばかり考えて「信じます」と言えずに過ごしていました。
そんなある日、礼拝からの帰りの車中で、クリスチャンとなった妻と聖書について意見を交わしながら帰りました。 私が、あまりにも理屈っぽく言うので、妻は、涙ながらに私に訴えてきました。 妻は、「仕事で大変なことが沢山あるけど、神様がついているから絶対乗りきれる。あなたは、怖いから逃げているだけじゃない。」と言うのです。
正にそのとおり、私の心の中は見通されていました。 休みのたびにゴルフ、テニスと理由を付けて、教会に行かないで逃げていました。 それは、自由が無くなり好きなことが出来なくなると思ったからです。 沈黙のまま家に着きました。
その晩、床について今日の出来事を振り返りながら、決意しました。 イエス・キリスト様を信じることを。
翌日牧師に手紙を書き「私は罪人で、死後、恐ろしい永遠の地獄から救い 天の御国へ導いて下さるために、十字架の上で死んでくださったイエス様を、私の救い主として信じます」と告白しました。それは、 2007年11月5日のことです。 それから牧師から個人的な聖書の学びを受け、さらに信仰が深まりました。今はただ、主に感謝です。