以前の私は、自分の確固たる信念、価値観、道徳観や人生観のない、好き勝手な日々を送っていました。自分探しの旅と言ってはお給料を貯め、リュックを背負い、11時間半かけスリランカに通っていました。日本を離れるたびに考えることは、自分が死んだらいったい何人の人が悲しんでくれるだろうということでした。
そんなある日、思いもかけない突然の仕事の解雇により、私は一瞬にして職と住まいを失ってしまいました。呆然としていた所に、追い討ちをかけるように、今度は父の癌が再発し、3ヶ月の余命宣告を申し渡されてしまいました。
ああもうダメだ...。私の思考回路は完全に止まり、絶望の淵に追い詰められました。相談する人もなく、気がつくと友人たちは皆離れ一人ぽっちになっていました。
そんな折、父が「自分の葬儀は教会で出して欲しいなあ...」と言ったのでした。父自身はクリスチャンではなかったのですが、父の兄弟たちが皆クリスチャンという事が、父にそのような思いを与えたようでした。
その時からすでにイエス様のお導きがあったのでしょう。気がつけば、私はなんと恵みキリスト教会の横のマンションで、職と住まいを得ていたのです。私はすがる思いで教会の門をたたき、状況を話すと、クリスチャンの方は優しく病床の父に、イエス様のお話を幾度となく話してくださいました。
度々日本を離れ自由気ままに過ごす日々は、孤独と虚しさが常についてまわり、その気持ちを押さえるために、また外国に旅発つという私の人生。父と共に聖書に触れる中で、そんな満たされない人生から抜け出したい、イエス様というお方にすがりたい、心からそのように思いました。
そう思った時に、イエス様を無視した一人よがりの生き方が、神様の前では罪なのだとわかったのです。私は罪人でした。でも自分は地獄から救われたい!と心が大きく揺さぶられ、その時私はイエス様を救い主として信じ、受け入れる決心をしました。
私の好きなみことばです。
「あなたがたが経験した試練はみな、人の知らないものではありません。神は真実な方です。あなたがたを耐えられない試練にあわせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えていてくださいます。」 (聖書 コリント人への手紙第一 10章13節)
今ふりかえれば、まさにその通りに神様はしてくださいました。どんな事があっても、イエス様の愛から絶対に離れず、永遠のいのちへの確信を持ち、いつも共にいらしてくださる主に感謝いたします。