須 藤 賢 哉 (会社員)
須藤賢哉

私は2011年に札幌に引越して来ました。引越しをした理由は、住む所を変えることで、自分の生き方を変えることができるかもしれないと思ったからです。

私はイエス・キリストを信じる前までは、私は生活上の不安を持って暮らしていました。世界の経済情勢が不安定になり、ヨーロッパの国々の経済危機が連日報道される中、日本の国も近いうちに経済的に破綻するのではないか。それよって私の生活にも悪い影響がおよぶのではないかと思っていました。いつも将来のことばかりを心配しながら生活していました。

その不安をお金で解決しようとしていました。給料だけでは十分ではないと思い、株や外国為替などの投資でお金を増やそうとしたり、時には怪しいお金儲けの話にだまされて大損することもありました。その一方で、生活の不安や仕事のストレスを紛らわすために食事や買い物などいろいろな無駄遣いをしていたので、いつもお金が足りないと思っていました。沢山のお金があれば生きていく上での不安や不満が解決すると思っていました。お金で全ての問題が解決して幸せになれると本気で思っていたのです。こうしていつのまにか生活よりもお金が目的となってしまい、お金に縛られた「お金の奴隷」のような生活になっていました。こんなことではいけないと、いつも思っていましたが、自分ではどうしても生き方を変えることができませんでした。

私は投資やお金儲けに関するいろいろな本を読んでいたのですが、その中に「聖書に基づいて人生を成功させる」という内容の本がありました。この本には「聖書の中にお金や財産など人生を成功させる秘訣が隠されている」と書かれており、他の投資の本と比較するとかなり異色でした。この本には「神が人間のために計画した目的に従って生きることが成功の秘訣」ということも書いてありました。今思うと聖書の教えそのものでした。そこで、私は原典である本物の聖書が読みたくなりました。

私が札幌に引越して来たのは、そんな時でした。引越してみるとなんと隣が教会でした。しばらくしてから、思い切ってその教会に入ってみました。目的は、無料で配布している聖書(ギデオン協会の聖書)をもらうためです。扉をあけて最初に対応してくれたのはひとりの兄弟で、後に私が最初に聖書の教えを受けた方です。そのときは聖書はもらえませんでしたが、ヨハネの福音書とゴスペル礼拝(現バイブルアワー)の案内をもらいました。そのときは正直言って聖書だけもらえればそれで良かったのですが、なぜか次の週には礼拝に行きました。

こうして礼拝に通うようになり、いつのまにか聖書について学ぶようになり、3ヶ月くらいたった時に信仰告白しました。「信じたから」というよりも「信じてみようと決心した」という方が正しいと思います。信じることで自分が変われるかもしれないと思いました。

聖書について学ぶ中で、初めて神とイエス・キリストについて正しく知ることができました。神を無視して自分勝手に生きてきた私達は神の前では罪人であり、そのままでは死後に罪の清算として裁きが待っていることを知りました。しかし、神は私達人間を愛していたので、約2000年前に天から神の子であるイエス・キリストという救い主を地上に送ってくれて、イエス・キリストが私達の罪を背負って十字架刑にかってくださったことを知りました。そして、救い主であるイエス・キリストを信じる「信仰(=神への信頼)」により罪から救われるということ知りました。そこで、私はイエス・キリスト様を信じました。

お金によって幸せが買えると思っていた私は正に罪人であり滅びへ向かっていたのです。聖書の御言葉を学ぶ中で、お金よりもっと大切なことがあるということを教えられました。イエス・キリストを通して神に祈る中で、不思議とお金に対する執着が少なくなりました。お金に縛られた生活を変えることができ、今はほっとしています。

「私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。」(聖書 テモテへの手紙第一 6章7-10節)

イエス・キリストを信じることは「宗教(=人間が作った教え)」とは違います。神との信頼関係を回復すること(信仰)であり、私の経験で言わせてもらえば「生き方を正す」ということになると思っています。

正しく聖書を用いている教会において適切な聖書の学びを受けることができれば、人生が希望ある、神様の目から見て正しい方向に開けていきます。現在、何かに思い煩ったりして悩みや苦しみの中にいる方には、まずは聖書を知ることから始めることをお勧めします。

私を導いて下さったイエス・キリスト様に感謝します。