人は誰でも幸せを追い求めています。幸せを求めない人は一人もいません。では何が人を幸せにするのでしょうか。お金持ちになることでしょうか。大きな家を建てることでしょうか。あるいは権力や名声を持つことでしょうか。
もしこれらのものが私たちに幸せを与えてくれるなら、イスラエル国の王様ダビテという人こそ、もっとも幸せな人であるに違いありません。なぜなら彼こそ幸せを与えると思われる富、権力、豪邸、名声を獲得した人だからです。
彼は田舎の貧しい羊飼いの仕事から、一国の王という地位にまで出世し、それらのすべてのものを手中に納めました。彼はたくさんの召使を抱え、自由奔放に生活をエンジョイしました。世間の人からはうらやましがられ、若者からは「自分はいつかきっとダビデ王のようになるんだ。」と人生の目標にされたのです。ですからダビデ王その人こそ幸せ者です。しかしその彼が次のように告白したのです。
「幸いなことよその背きを 赦され罪をおおわれた人は。幸いなことよ主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。」(聖書 詩篇 32篇1、2節)
それは私たちが期待していた答えとは全く違っていました。彼はこう言いませんでした。「幸せとは、私のように努力して権力と富と名声を獲得し、人生面白おかしく生きることだ。」と。著者である私自身が「それらのものによって人は幸せになれない。」と言ったとしても説得力に欠けます。なぜなら私自身が王様になって権力と富を得て豪邸に住み名声を手にした経験がないからです。ダビデ王の告白は、それらのものを手にした、実際の経験者と言う意味において説得力があり真実味があります。