だまされた幸せ

私たちを不幸にしているものはそれだけではありません。人生の最期に訪れる「死後」の問題もあります。

罪は、死後、神の御前に明らかにされる

聖書は次のように述べています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(聖書 ヘブル人への手紙 9章27節)

私たちは死後、神様の御前に立ち、生まれた時から死ぬ時までに犯したすべての罪が明らかにされます。そして地獄で自分の罪の刑罰を受け続けるのです。そこは激しい苦しみと悲しみ、叫びと絶望と暗闇と恐怖しかないところです。多くの人々が死を恐れる理由は、死後、罪人としてさばかれることを本能的に知っているからです。

どうすれば、私たちは罪の責めと死後のさばきから救われることができるのでしょうか。

イエス・キリストが救い主
希望の光

聖書に「神は、実に、そのひとり子(キリスト)をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書 ヨハネの福音書 3章16節)とあります。

神様は、私たちを愛するが故に、ご自分の最愛なる御子をこの地上にお遣わしになりました。そして、全く罪のない神の御子に、私たちの罪をすべて負わせ、十字架上で私たちの罪の身代わりとしてさばかれたのです。しかし、キリストは死後三日目に死の中からよみがえられたのです。それは、このお方こそ真の神であり、このお方を信じる者は、すべての罪が赦され、地獄から救われ、永遠の命を持ち、必ず天国に行くことを、よみがえりによって証明してくださったのです。

私たちのなすべきことはただ一つです。それは、あなたを造られた真の神様のご存在を認め、あなたを愛して、あなたの罪のために十字架にかかられたイエス・キリストを信じることです。なぜなら、神様はイエス・キリストの十字架に免じて罪の赦しを与え、地獄から救い、天国にて永遠に過ごすという幸いを準備されたからです。前述のナイチンゲールも、その後、イエス・キリストによる救いを得ました。自分の醜い罪を赦され、天国へ行く者とされた人は、ほんとうの幸せを手にした人です。

イエス・キリストは言われました。「見ないで信じる人たちは幸いです」(聖書 ヨハネの福音書 20章29節)

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