欲しい、心の休み…

疲れています…

疲れています

現代の私たちの生活を表現すれば「緊張」ということではないでしょうか。東西の緊張、アジアの緊張、職場、学校、家庭など休まる暇もなく、問題はつぎつぎに起こってきます。肉体の疲れは、休息をすれば取れるでしょう。しかし、心の疲れはなかなかいやされないのです。この世の中に、私たちを元気よく立ち上がらせる本物の新しい力、喜びの笑顔を与える要因は何一つありません。

ですから…

私たちはいつも暗い顔をしています。満足のいく何かを求めています。しかし満たされない時、その不満をお酒、ギャンブル、友達とのバカ騒ぎ、スポーツなどに、最悪は友人や家族、子どもにまでうっ憤をぶつけてしまいます。そして、そういう自分にいいかげん愛想をつかしているのです。焦りや孤独が上げ潮のように心をふさぎます。やることなすこと、みんなうまく行きません。そんな時、私たちは言います。

「ああ、休みが欲しい」と。しかし、それは休日のことではなく、心の休みが必要なのです。憩い、ゆとり、心のうるおいなどの力があなたには必要なのです。

その原因…

聖書は私たちのことを「羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った」(聖書 イザヤ書 53章6節)と描写しています。これが神様から離れて生きている、私たちの現実の姿なのです。その心の疲れの原因は、私たちが創造主なる神様から離れた人生の迷子であり、失われた状態にあるからではないでしょうか。

そもそも、人間は偶然の産物ではなく、神様に意図的に造られ、生かされ、神様に愛されるために生まれてきたものなのです。そして神様は、険しいこの世を歩む私たちの人生の道案内人でもあられるのです。

ところが、私たちはそのような神様を信じていません。ですから、自分が何処から来て、何のために生き、どこへ向かっているのかさえ知ることができません。しかもさまよいの人生の中で、多くの罪を日々自分の心の中に秘めていくのです。それらは、私たちの心の奥底で、重荷となり、一つの不安となっていきます。まるで、私たちは重い荷物を背負って、どこに向かって走っているのかわからない電車に乗って、もがいているかのようです。

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