欲しい、心の休み…

私たちの心の疲れや不安は、そのような生き方と罪が原因しているのです。事実、聖書は、私たちの死後、生きていた時に犯した罪の刑罰が待ち構えていると教えています。しかも、人間は直感的に死後に善悪のさばきがあることを無意識のうちに知りつつ日々を送っているとも教えています。


イエス・キリストを信じない…

イエス・キリストは言われました。

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわきでます。」

「水」とは、イエス・キリストのことです。この方こそが私たちの心を潤し、永遠の滅びから救う救い主なのです。イエス・キリストは、私たちを恐ろしい地獄のさばきから救うために、私とあなたに代わって、十字架の上で死んでくださいました。それは、私たちの罪のさばきの身代わりの死であり、罪の清算であったのです。そして、この方は三日目に墓の中よりよみがえられました。

そのお方、イエス・キリストを心から信じる者は、神様に罪をゆるされ、地獄のさばきからも救われ、永遠のいのちが与えられるのです。そして、私たちは自分が何のために生まれ、学び、仕事をするのかという理由と意味をも知り得るのです。そればかりか、どんなことがあっても変わることのない喜びと天国への希望をもって生きることができるのです。

疲れた心がいやされる

ここに、疲れた心がいやされ、この世の何を持ってしても、満たされなかった心も満たされ得るのです。天下を取った徳川家康が最後に残したことばに、「人の一生は、重荷を背負うて遠き道を往くが如し」があります。しかし、イエス・キリストを心から信じた者にとっては、「人の一生は、イエス様に重荷を降ろして、天国の道を楽しく往くが如し」です。イエス・キリストはあなたを招いておられます。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。 ーイエス・キリストー 

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