広岡浅子 朝ドラヒロインモデル

明治時代の女性実業家、そして女性教育に尽力した広岡浅子は、朝ドラのヒロインとしても取り上げられ、その名を知る方も多いことでしょう。しかし彼女が晩年にクリスチャンになったことをご存知でしょうか?

生い立ち

広岡浅子

1849年に幕末の京都にて、のちに財閥となる富豪の家に生まれました。裁縫、お茶、お花、琴などをたしなみ、良き嫁となるという、その時代の女子の道に浅子自身は不満で、男子だけのものであった読書や相撲をして家人を心配させていた事は、ドラマでも描かれていたとおりです。

17歳で豪商の家に嫁ぎましたが、夫は家業に少しも熱心でなかったため、浅子は「もし何か起きた時には、家業の繁盛のために私が一家の運命を肩に背負って立ち上がらなければならない」と決心し、眠る時間も削って算術や簿記などを一心不乱に独学しました。

明治維新が起こり、浅子は20歳にして奮然と事業界に身を投じる事になります。女性が社会で働く事も少ない時代に、男性もためらうような冒険的事業をあえて行い、狂気扱いもされながら、彼女は成功をおさめていきます。

40代になると事業家として奮闘するかたわら、女子教育事業に尽力し、7年の年月を経てようやく日本女子大学校設立の喜びを見ます。夫の逝去とともに事業界から引退した浅子は、婦人事業に貢献しつつ、50代になっても青年女子とともに女子大学校で学ぶ日々を過ごします。

キリストとの出会い

ちょうど還暦の歳になったとき、浅子に神のご存在を考えさせる一大事件が起こります。乳がんの病を患い、摘出手術を受けることになったのです。死をも覚悟する手術の麻酔から覚めた時、彼女は「『天はまだ何かせよと自分に命を貸したのであろう』と感じました。私は万事を天にまかせたその瞬間に感じた偉大な力を、これが人々のいう神ではないだろうかといつも憧れていました」と記しています。

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