森永太一郎 (森永製菓創始者)
-お菓子を売る屋台に聖書の御言葉をかかげて-
森永太一郎

森永製菓というと、おいしいチョコレートやキャラメルとともに、エンゼルのロゴマークが思い浮かびます。このマークはクリスチャンであった森永製菓創始者、森永太一郎が、神への祈りをこめて自らデザインしたものです。彼がクリスチャンになったきっかけは何だったのでしょうか。

アメリカでの出会い

森永太一郎は伊万里(九州)で生まれました。24歳の時に陶器を売るために渡米した際、公園で子供が捨てたミルクキャラメルの包み紙を拾い、これを日本で作り売ろうと決意します。そして製菓技術を学ぶ中で、あるクリスチャン夫妻に雇われます。

ところで、太一郎の郷里ではキリスト教は邪教であり、幼いころよりそのように言われ育ってきた彼はキリスト教に絶対反対でした。しかし他のアメリカ人と違い、日本人だからといって差別することもなく、太一郎に接するそのクリスチャン夫婦とのふれあいを通して、彼はふと思いました。「自分はキリスト教の教えの内容を知らない、食わず嫌いなだけではないか。もしキリスト教がそのような邪宗であるならば、そんなキリスト教によってアメリカのような文明国が支配されている事はあるまい。」と。そして彼の中に「これはひとつ自分自身聖書を調べてみよう」という気持ちが起こりました。

キリストとの出会い

太一郎は聖書を読み、キリストが十字架上で、ご自身を極度に悩まし、はずかしめ、苦しめ、ついには死にまで至らしめた人々のためになした祈り(*1)に感激し、またキリストの復活(*2)に驚きます。そしてついにイエス・キリストの十字架上での身代わりの死により自分自身の罪が赦され、永遠のいのちの約束を受けたと信仰告白をするに至ります。彼が26歳のときでした。

クリスチャンになった太一郎はこのイエス・キリストの福音を親族や兄弟に伝えようと、すぐさま洋菓子の修業を辞め帰国します。しかしそのような太一郎に人々は「アメリカで頭がおかしくなった」と耳を貸さず、さらに幼少のころ死別・離別した父母に代わり育ててくれた親戚からも離縁されてしまいます。

*1「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。』」聖書 ルカの福音書 23章34節
*2「神はイエスをよみがえらせ、彼らの子孫である私たちにその約束を成就してくださいました。」聖書 使徒の働き 13章33節

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