新五千円札の肖像となる津田梅子は、明治の女性教育に尽力した、現・津田塾大学の創始者として知られています。しかし、彼女がクリスチャンであったこと、またその父、津田仙が梅子から影響を受けクリスチャンになったことは、あまり知られていないのではないでしょうか。
津田梅子
明治4年、黒田清隆が企画した女子留学生に応募した梅子は、岩倉使節団に随行して満6歳で渡米します。クリスチャン夫妻の家庭にホームステイし、毎週教会の日曜学校に通ううち、梅子の心には徐々に信仰が芽生えます。キリスト教は禁教とされていた日本から、決して改宗しないように言い渡されて渡米した梅子たち留学生でした。しかし梅子はその年、キリスト教禁止令が解かれたのを知り、自らの意志で受浸します。
クリスチャンとなった梅子は、庭番小屋に住む黒人夫婦を日曜ごとに訪ね始めます。字の読めないこの夫婦に本の一行を読んでは祈り、キリストを伝えていたのです。この小さな伝道者に導かれた夫妻は、「天国の道を教えてくれたのはあのお嬢さんだ」と語っていたということです。また弟の病死の知らせを受けた梅子は、母上の慰めはただ天の神様であること、小さい弟は天国に召されたこと、全ては神様の思し召しであることを手紙に書き記し、母の初子に送りました。
津田仙
そのような娘・梅子の変化に影響を受け、彼女の父と母である、仙と初子は教会に通い始めます。
実は仙が最初に聖書に出会ったのは、それより約1年前に訪れたウィーンの万国博覧会に於いてでした。仙の目には、キリスト教の教えが農業の繁栄を導いているように思われ、是非とも入信すべきと考えたのです。しかし晩年、仙は、「それは国家に尽くそうとする単純な志望ゆえの思いに過ぎなかった」と述懐しています。毎日曜日に礼拝に集い、聖書の御言葉に心を深く留めるうちに、仙と初子は真に信仰を持ちます。