クリスマスそれは...
飼い葉おけ

町のあちらこちらで耳にするクリスマスの言葉に、何かほのぼのとした暖かいものを感じるのはなぜでしょうか。それは、クリスマスの意味にかかわりがあります。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。」(聖書 ルカの福音書 2章11節)

これが、最初のクリスマスに告げられた救い主についての知らせでした。この救い主は、力を誇る権力者としてではなく、貧しい大工の家に生まれた一人の赤子として世に遣わされました。そのご生涯は、華やかな王宮や貴族としてではなく、田舎町のみすぼらしい家畜小屋から始まり、身を低くして罪人と呼ばれる者の友として歩まれました。人の目には弱々しく映るこの幼子の誕生は、絶望と混乱と暗闇の中に住む私たちにとって、光となり、喜びの知らせとなったのです。

人類の歴史を二分することになるこの幼子の誕生は、現代に生きる私たちにも無関係ではないのです。

神の御子がお生まれになった理由

それは、全ての人間が重大な危機に立たされているからです。その危機とは、罪の報酬である死後のさばきです。その危機は決して人間の力では解決することができません。私たちには「救い主」が必要なのです。

人の一生に限りがあることは、誰もが知っている事実ですが、死後にさばきの場所が備えられていることまで知る人が少ないのは残念です。たとえ、私たちがこの世で豊かな繁栄を楽しんだとしても、必ず最後には死を迎えなければなりません。その死は、素晴らしく思えた生涯をも、深い悲しみに変えてしまいます。

では、どうしてこんな悲惨な結末を迎えなければならないのでしょうか。それは、人間がひとりの例外もなく、罪人であるからです。聖書は人間の犯しうる最大の罪として、 「神を神としてあがめず、感謝もせず」(聖書 ローマ人への手紙 1章21節)と挙げています。あなたも、罪を持った人間である限り、このさばきを逃れることはできません。

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