同じように、宇宙に浮かぶ水の惑星である地球、その大きさ、太陽との距離、どれをとってみても、生物が生きるのに理想的な条件を備えています。もし、一割でも地球が小さかったら、大気をとどめるのに十分な重力を失い、大気は地球をおおうことはできません。また、太陽の距離が近すぎたなら、生物は焼き尽くされ、遠すぎると、生物は凍ってしまいます。地球の持つ自然の美しさは、人間の心に何か不思議な思い、厳粛な気持ちを与えます。そこに秩序や法則という美しい知恵があるのを知ります。知恵があるのであれば、人格者の存在を認めることができます。その人格者こそ、天地万物を創造なさった唯一の神様です。
このように、宇宙や地球にある秩序と法則というものを通して、背後にある神様の存在を認めることができるのです。
私たち人間にとって、神様を信じることは、当たり前のことです。なぜなら、人間は神様に造られ、今も、神様に生かされているからです。本来、人間は、神様の愛の対象として造られた大切な存在なのです。ところが人間は、神様に愛されているということを忘れ、自分勝手に生きはじめてしまいました。
その結果、人間はどこから来たのか、何のために生きるのかという人生の目的を見失い、私利私欲に走り、死後どこへ行くのかも分からなくなってしまったのです。
しかも、進化論を土台とした人生観によって、人間の尊厳を失い、差別や悲惨な事件をたびたび起こし、神を恐れる心までもが失われてしまったのです。多くの若者が自暴自棄になっています。いや、若者だけでなく、大人もそうなのです。
そこで、多くの人々は、学歴や富、財産とそれなりの地位をもてば、幸せになれると違いないと思い、人生もそこにかけます。しかし、目的が実現しても心は満たされないのです。米国のロック・シンガー、ミック・ジャガーが、「I can get no satisfaction! I can get no satisfaction! 私は満足できない!私は満足できない!」と歌ったように、神様から離れた人生には、富や名声や権力を手にしても、本物の満足がないのです。
このような人間を、聖書は次のように説明しています。
「また、彼らは神を知ることに価値を認めなかったので、...してはならないことを行っているのです。彼らは、あらゆる不義、悪、貪欲、悪意に満ち、ねたみ、殺意、争い、欺き、悪巧みにまみれています。また彼らは陰口を言い、 人を中傷し、神を憎み、人を侮り、高ぶり、大言壮語し、悪事を企み、親に逆らい、浅はかで、不誠実で、情け知らずで、無慈悲です。」(聖書 ローマ人への手紙 1章28-31節)