キリストの死なれた理由について、聖書に次のように説明されています。
「彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。」
この世界には、何と多くの争いがあることでしょう。人間には至るところで、絶え間なく争っています。なぜなら人間の願うことは、いつも自分の欲しいものを手に入れることばかりだからです。そのために争い、憎しみ、ねたみ、盗み、ののしり、欺き、殺意と殺人がおこるのです。またそれ以上の罪があります。
それは私たちをお造りになった真の神様を無視して歩むことです。真の神様の代わりに、人間の手で作った物を拝み、その偶像に自分の欲望を満たすことを祈り求めることです。それほど神様に対する大きな罪はありません。
「すべての人の心をご存じである」神様は、私たちのすべての罪を見通しておられます。
ですから私たち人間は、神様の御前に誰ひとりとして正しい者はなく、自分自身の罪のためにさばかれて当然であるのです。そのさばきとは、死後の永遠の地獄、永遠の火の池であるのです。これが神様から離れて、罪を犯し続けてきた私とみなさんの結末であるのです。