なぜ、キリストは十字架で?
なぜ、キリストは十字架で?

俳優・映画監督でもあるメル・ギブソンが構想に12年もの歳月と約30億円もの私財を投じて「パッション」という映画を制作し、世界中で上映しました。 ところが、その映画は社会的にさまざまな議論を引き起こしました。その一つは、「キリストは正しい方なのに、なぜ、十字架で死なれたのか」です。

キリストの無罪性

当時の最高権威者である裁判官ピラトは、さまざまな取調べから結論して「この人には、訴える理由が何も見つからない」(聖書 ルカの福音書 23章4節)と言い渡しました。また、当時のキリストを取り巻いている多くの関係者も「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。」(聖書 ペテロの手紙第一 2章22節)と、無罪性を告白しています。そして、キリストご自身も、「おまえは神の子なのか。」という質問に対して「あなたがたの言うとおり、わたしはそれです。」(聖書 ルカの福音書 22章70節)と罪が無いどころか、ご自分が神の御子であることを証言されたのです。

キリストは、社会的にのけ者にされ嫌われている収税人、遊女、その他多くの悩める者を励まし助けられました。そして35回以上の奇跡を通して、自然界を支配したり、不治の病を治したり、死人を生かしたりなどして、ご自分が真の神の御子であることを実証なさったのです。このようなお方に、十字架で処刑される理由など見つけられるでしょうか。

ところが、不思議なことにキリストご自身は、裁判の時にご自分の無罪を申し立てることもなく、自らあの恐ろしい十字架の刑へと突き進んで行かれたのです。驚きです。なぜでしょうか。それは、私とあなたの神様に償うべき罪の身代りのためであったのです。そのことを理解するには、次のことを認める必要があります。

<< 前のページ 1 / 2 / 3 次のページ >>