私たちは、いつも他人と比較して「自分はまあまあ正しい生き方をしている。」と、自分に言い聞かせて安心しています。しかし、「すべての人の心をご存じである」(聖書 使徒の働き 1章24節)神様に自分自身を照らしてみるなら「自分に罪はない」と、言えません。
聖書は、「すべての人は罪を犯して」(聖書 ローマ人への手紙 3章23節)「義人はいない。一人もいない。」(聖書 ローマ人への手紙 3章10節)と語っています。私たちは必ず死を迎えこの世から去るのです。そうしたら、私たちの死後はどうなるのでしょうか。
もし、罪の赦しなしに死を迎えたなら、聖書が「死後にさばきを受ける」(聖書 ヘブル人への手紙 9章27節)と警告している通りに、自分の犯してきた罪はさばかれます。その人は地獄という所で、終わることのない刑罰を受け続けるのです。何と恐ろしいことでしょう! これが、神様を信じない罪人の結末なのです。
ところが、神様は罪人をその地獄から救うために、神の御子イエス・キリストを、私たちの身代わりとして十字架につけて、神様に対する罪を解決してくださったのです。罪のないお方が罪人に代わって罪の清算をしてくださったのです。イエス・キリストが十字架で苦しまれ、一滴、一滴と血をこの大地に注ぎだしてくださった事実は、あなたと私を永遠の地獄のさばきから救うためであったのです。それが、十字架へと突き進んで行かれた理由なのです。キリストの身代りの死は、彼がこの世に来られる700年も前から聖書で預言されていた出来事でした。