放蕩息子はだれ?
快楽主義の生き方
快楽主義の生き方

彼は「湯水のように財産を使って、」快楽にふけりました。そして、とうとう無一文になってしまったのです。彼はなぜ、そんな愚かなことをしたのでしょうか。

それは、父から孤立した生き方に平安がなかったからです。彼は自分の心の中にポッカリとあいた穴を次から次へと快楽で埋めようと必死に努力したのです。

しかし満たされませんでした。そしてとうとう財産の破綻宣告を受けるような世間の笑い者へと落ちてしまったのです。満たされない心を必死で満たそうとする彼の姿は、まさに私たちです。聖書に「実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができるだろうか。」(聖書 伝道者の書 2章25節)とあります。神様を無視して、罪に罪を重ねて生きている私たちに本当の平安と満たされた心を持つことはできません。

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