父を父とも思わず、放蕩に身をくずして、身も心も汚して帰ってきたこの放蕩息子を、父は喜んで迎え入れました。父は放蕩三味に遊んできたこの息子を叱り飛ばさず、むしろ、涙と口づけとゆるしをもって迎え入れたのです。
そればかりか、祝宴まで開いて、指輪と最上の服を着せて祝福したのです。この父の愛こそが、神様の私たちへの愛と救いを教えているのです。
神様は放蕩息子を快く迎え入れた父のように、神様に立ち返る私たちを喜んで迎え入れてくださるのです。そのために、神様は私たちの罪の赦しを、ご用意してくださいました。
「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」(聖書 コリント人への手紙第二 5章21節)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(聖書 ヨハネの福音書 3章16節)
多くの人は、自分の努力や行いでもって罪を清め、神様に受け入れられようと努力します。けれども、その人は、どこまでも罪人なのです。神様は自分の努力や行いに頼ることをやめてキリスト様に頼るように勧めておられます。
私たちがしなければならないことはただ一つです。それは神様に背く人生を止めて、私たちの罪の身代わりとなって十字架で死に、三日目に甦られ、今も生きておられるイエス・キリスト様を心から信じることです。これ以外の救いはなく、これが私たちに用意された神様の救いのなのです。この事実を理解された知識だけでは救われません。キリスト様に対する信仰が必要なのです。
ぜひ、へりくだって心からイエス・キリスト様を信じて、天国へ行ける者となってください。神様は私達が天国に帰ってくることを待ち望んでおられます。