キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来られた。 Tテモテへの手紙1章15節
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思い違いによる永遠の損失

私は死んだら終わりだ

墓地の庭

多くの人は、人間は死ねばすべてが終わりだと思っておられるのではないでしょうか。

イエス・キリストは人間の死を次のように教えています。 「金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムがはるかかなたに見えた。…彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、…私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』」

この金持ちは死にましたが、彼は身体から分離して別の場所に存在していました。彼は、自分の目で周囲を見、他の人間を識別し、熱さをしのぐことができるものは水であるという科学的知識もありました。これらのことから、死とは私自身の消滅ではなく、肉体から分離することであることが分かります。ですから、私たちは死後の行き先について考え、そして決断して人生を送ることが肝要ではないでしょうか。

私はそんなに悪くない

私たちは、いつも他人と比較して「自分はまあまあ正しい生き方をしている」と自分に言い聞かせて安心しています。しかし『すべての人の心を知っておられる』神様は、私たちの本質を見抜いて、次のように言われました。 「人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」

しかも、私たちは衣食住のすべてを与えてくださる神様に感謝と礼拝をささげないで、それらのものがあって当り前であるかのように日々の生活を送っているのではないでしょうか。

ですから、私たちは死後に永遠の滅びに落ちる罪人なのです。人間は死ぬことが確実であるように、さばきを受けることも確実です。これはやがてむかえる大変な事実です。私たちはやがて経験するこの恐ろしい結果から救われなければなりません。

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